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内なる師との対話

今から40年前,私は東京家裁の家裁調査官補だった。実務修習の指導官は,特攻隊崩れという異色の経歴を持っていた。口癖は,「理屈は研修所で習え。人生は俺から学べ。」だった。お酒が好きで,仕事を終えると,隣の農水省の売店につまみの買い出しに行かされた。さきいかなど乾き物ばかり買って戻ると,「湿ったものも買ってこい」と叱られた。私は学生時代に体育系クラブに所属していたので,少々のことは平気だったが,今ならば,ハラスメントもんである。

調査実務の指導は,きめ細やかさとは遠かった。同期生は指導官から少年調査票作成に関して丁寧な添削指導を受けていたが,私は「添削してもらおうと甘えるな」と説教された(同期が羨ましかった)。当時はまだPCという便利なツールはなく,“手書き”の時代である。指導官は鉛筆で書いた私の少年調査票を見て,「最初からペンで勝負しろ。」と檄を飛ばした(理不尽な話である)。まあいいかと気を取り直してペンで勝負すると,「ここにおまえの魂はあるか」とアイフルのCMみたいな問答を仕掛けてくる。よく書けたと思った調査票ほど突き返される。あるときには,四苦八苦してどうにもならず,これ以上は無理!と目をつむって提出したら,「うん,おまえの魂が見える素晴らしい調査票だ。」と褒められる。酒の席では,「俺たちはなあ,ケース理解とかいうけど,結局のところ,少年を信じきれるかどうかなんだよ。それが一番の力になるんだ。」ということを繰り返し力説した。

こうして指導官から受けた“薫陶”は,いつの間にか私の一部になっていった。決して出来の良い研修生ではなかった私に対して,厳しいがいつも温かかった。そして,指導官は,気難しい頑固おやじから,人生の師と仰ぐ存在になった。鬼籍に入られてから15年以上経つが,内的対象となった師との対話は現在も続いている。その中で息づいているものは,臨床の哲学と呼べるほど立派ではないが,確固たるものとして存在しているのが分かる。また,師を乗り越えようとするエディプス的な営みであることも自覚している。

犯罪心理学が科学であるために,臨床家の体験よりも科学的エビデンスが重要であることは理解している。リスクアセスメントも嫌いではないし,その必要性は十分認識しているつもりである。でも,こうした先人が築き上げた精神性,人間観も失ってはいけないのではないかと思ったりもする。(須藤 明)

 

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