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経済安全保障への犯罪心理学の寄与

 スパイ活動などによって先端技術情報が国外に流出することは,国益を損なわせる経済安全保障上のリスクであるとの認識が広まりつつあります。日本の技術優位性が損なわれ,また軍事に転用されれば安全保障上の脅威ともなるからです。スパイ活動などによる意図せぬ形での情報流出対策に政府も企業も大学も本腰を入れて取り組み始めています。

そもそもスパイ活動による科学・技術情報や防衛情報などの流出は今に始まったことではありません。戦前も戦後も一貫してスパイ事件の摘発は続いています。最近も大手通信関連会社の幹部が他国の情報機関員とみられる男性にそそのかされ,同社の機密情報を提供していたことで警視庁公安部に検挙されました。

古くから情報機関員は「人」を介して機密情報を集めます。政府や自衛隊,企業などの関係者を甘言,誘惑,金品授受,そして脅迫などで籠絡し,情報提供者に仕立てて情報を入手するのです。人を利用する以上,さまざまな形で「心理」が関わっています。例えば,情報提供の依頼の仕方です。いきなり狙いの情報を要求することはしません。まずは入手しやすい,公開された情報(例,政府の白書や企業の会社案内など)の提供依頼から始めます。このような情報は容易に入手でき,心理的抵抗も生じにくいことから,罪悪感なく応じてしまいます。これを初手とし,それ以降,両者の間で依頼と提供が繰り返されますが,依頼内容のハードルは段々と高くなり,狙いの情報へと徐々に近づいていきます。このように負担が少ない依頼から要求し始め,狙いの情報に徐々に迫るテクニックのことを心理学では「段階的要請」といいます。段階的要請にはほかにも,どんな形であれ相手の依頼を一度でも承諾すれば,それ以降の依頼を承諾しやすくなる「一貫性の原理」や,法外な報酬を与え続けることで,相手に負い目を感じさせる「返報性の原理」などの心理的な仕掛けも施されています。

このようにスパイ活動は人の心に潜む脆弱性を巧みに利用しています。しかし裏を返せばスパイ活動対策には心理学の知見を援用できるともいえます。実際に米国・国防総省では心理学の専門家が情報提供者のリクルートや,機密情報を扱う人物の評価・選別,また尋問の支援などに関わっています(Shumate & Borum, 2006)。さらにいえばスパイ活動による情報流出は,経済安全保障上の問題でもありますが,警察による捜査や法執行の対象という側面もあります。したがって,犯罪心理学会においても積極的に検討,議論する価値がある研究対象であると私は思っています。

もし,この分野に興味がございましたら,「犯罪心理学研究」に掲載された拙論(日本においてロシア諜報機関に協力した情報提供者の類型化)をご高覧頂ければ幸いです。(大上 渉)

参考文献
Cialdini, R. B.?2009?Influence: Science and practice. Boston, MA: Pearson education.(チャルディーニ,R. B. 社会行動研究会(訳) 2014 影響力の武器 第三版 誠信書房)
中村直貴 2020 経済安全保障: 概念の再定義と一貫した政策体系の構築に向けて?立法と調査, (428), 118-131.
大上 渉 2017 日本においてロシア諜報機関に協力した情報提供者の類型化 犯罪心理学研究, 55?, 29-45.
榊 博文 2002 説得と影響?交渉のための社会心理学 ブレーン出版
Shumate, S., & Borum, R. 2006 Psychological Support to Defense Counterintelligence Operations. Military Psychology, 18(4), 283-296.

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