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コラム

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コラム

ある講義にて

公認心理師が国家資格となったことで、私の勤務する大学でも、司法・犯罪関係の授業を開講するようになった。大学院生はまだしも、学部生にとって、この分野はなじみの有無にかなり差があるらしい。自分の住む町に刑務所や少年院があるような学生は、比較的イメージしやすいようだが、「悪いことをしたり、先生にとにかく反抗したりするような友達やクラスメイトを、みんな1人くらいは見たことがあるだろう」と思って授業を始めると、「そのような友達・知り合いはまったくいない」と答える学生と出会い、驚かされることもある。そのような学生にとって、非行や犯罪は、まさにドラマやニュースの中のことなのである。

そんな彼らだが、時間がたつと、それなりに、非行や犯罪に対する考え方にも変化が訪れる。怖いだけだった非行少年や犯罪者が、心に大きな傷つきや弱さを抱えている可能性があることを知り、やってしまった「こと」を赦すことなく、やってしまった「人」について思いを馳せようとする非行・犯罪臨床の心意気に触れ、被害者の消えることのない悲しみについて考えるようになる。少なくとも一部の学生にとって、それはとても価値観が揺らぐ体験となるようである。

ある学生が、授業後、こんな感想を書いていた。「非行少年も犯罪者も、私にはやはり理解できない存在です。私の中学にも、いつも先生と喧嘩ばかりしている人がいましたが、できるだけかかわらないようにして、冷ややかに見ていました。でも、それでは良くないのかもしれません。加害者でも被害者でもない今だけは、非行少年や犯罪者と言われる人たちを、ただ『嫌だ』と思うのではなく、行動の裏側にどのような心の動きがあったのかを理解しようとしながら、ニュースを見ようと思います」。授業をやってよかったと心から思えた瞬間だった。(河野 荘子)

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