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コラム

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コラム

攻撃

ニワトリの巣に蛇が近づいてくる。親鳥は卵を守って立ちふさがる。決してよそ見はしないし、むやみに騒ぐこともない。必殺の一撃のタイミングだけを測っている。

狐は辛抱強くネズミの穴を見張り、ネズミが出てきた瞬間に首筋にかみついて致命傷を与える。一切無駄な動きはしないし、迷いもためらいもない。

動物の攻撃は概してそういうものだ。倒すべき敵を、殺すべき獲物を正確に見定めて、自らのベストを尽くすだけである。

それと比べて、人間の攻撃は奇妙に歪んでいる。非行少年や犯罪者と接する中で、私がしばしば不思議に思ったのは、彼ら彼女らが本当の敵を攻撃しないことだ。父親から虐待された子どもが成長して腕力がついてからどうするか。父親に復讐するのではなく、自分の子どもを虐待する。いじめられた子どもが加害者に報復するのではなく、無関係な弱者を蹴り飛ばす。なぜ本当の敵に向かわず、脇にそれるのか。未だに父親や加害者が怖くて対決できないからなのだろうか。精神的な余裕がなく、単にその場でやりやすい相手を攻撃しているにすぎないのだろうか。この攻撃対象のずれは、何も非行少年たちに限らない。自分が実際に迷惑を受けたり脅かされたりしたことなどなく、それどころか会ったこともない人たちに執拗にヘイトを向ける連中も結構いるではないか。

攻撃の対象がおかしいだけではない。攻撃の程度も度外れている。これだけ大量に同種を殺すのは人間だけである。攻撃手段の「進歩」が影響しているのは間違いない。爪や牙と銃、銃と核兵器では殺しの効率が桁違いだから。つまり私たちは膨大な金と労力を費やして、殺しの効率化に努めてきたのである。また、蛇を追い払う、ネズミを殺すという明確な目的があれば、その達成をもって攻撃は終了するが、目的を見失った八つ当たり的な攻撃には終着点がない。私たちは大排気量のブレーキのない車に乗っているのだ。

どうすれば攻撃をコントロールできるのだろう。犯罪や非行から得られた知見が役に立てばいいのだが。(青木 宏)

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